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NOTE 02 カナダ邸を訪れて_2023/12/30

 
  初めて訪れたのは、夜の10時ころだっただろうか。近くの居酒屋で軽く食事をしたあと、夏も終わりかけていた時期もあって夜風が涼しく、ほろ酔いの気持ちよさのまま玄関の扉が開くのをエレベーターの前で待っていた。

 

  いわゆるレトロと言えるような趣のあるマンションは、周辺の中でもどこか異質な雰囲気が漂っていて、エレベータールームの窓から外を見ると、名古屋の街中にいるのが暗く不思議なくらい静かだった。しかしいざ扉が開き招かれると、より深い闇と静寂で満たされた空間にそれまでの浮かれた気分もすっかり消え去ってしまった。
  この独特な雰囲気の内覧?もネタを明かせてしまえば、ご家族が寝静まったあとの訪問に依ることが大部分を占めているだろうが、電気もつけず、小さな声で案内をしてもらう不思議な体験はこれまでの建築体験にはないもので、とても印象に残っている。


  思い出すように映像として頭の中に浮かびがるのは、躯体のコンクリートと相反するように光を反射しているさまざな仕上材だ。部屋に置かれた大きな箱はアルミで覆われており、キッチン周りは、ステンレス、水回りを覆う壁は鏡で構成されている。明かりのない暗闇の中、窓から入り込んできた街の光を、これらの素材が受け止め反射することで部屋にさまざまな印象を与えている。


  都会の夜は照明やらネオンやらでいっぱいであるが、どれも電気を通して自らが発する明かりである。今ここでは照明はなく、反射だけで空間が満たされている。視覚として知覚するには光が必要であるが、ここの光はどこか鈍く広がりもないため、あらゆる存在が曖昧なまま認識される。反射することで存在するものと、光が弱く暗闇に半分沈んだままの置かれたものたちが、そこにいるのかいないのか曖昧な状態として現れていたように感じられた。
アルミなどの反射することで認識される存在は、それぞれに違ったマチエールがあり質量があ る。反射の伸びとそのもの自身の重さによって、空間の質が全く異なっていることが感じられる。 しかし少ない光によって、それぞれの存在感がギリギリのところで維持されているが、特徴として 認識できるのは結局、反射の様子だけであった。だがそれによって、本質的なマテリアリティが表出していた。

 

  人気が消えた静かな夜の中で、その部屋の素材たちが自らの存在証明をしながら自由に振る舞っている。人に見られていないわずかなひとときだけが、仕上げとしての素材から物質へと変貌できる時間だったのだ。
 

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