「あいだ」の門

場所は国定公園へ続くなだらかな斜面の通り沿いに位置している。2018年9月大阪を直 撃した大型台風によって、約築70年の門は吹き飛ばされ、塀の一部にはヒビが入り瓦が落ちるという被害から、新たな門と塀の補修を施すこととなった。建主は既存の木造による閉鎖的な門が飛ばされたことによって庭と通りの繋がりの豊かさに気づき、通りから庭が見える開放的な門を望んでいた。また敷地の周辺を観察してみると、近い築年数の門が多く残されていることがわかった。 屋根を再度作ることで切れてしまった周辺とのコンテクストを取り戻し、通りから敷地内へ豊かな関係性を生み出すような門を目指して設計を始めることとなった。

門というのは「こちら」と「あちら」に分けられた場所を行き来するためのものである。 開けられた際においては「こちら」と「あちら」を繋げるものであるが、日常的には塀と同様閉じられた敷地の境界線として強固に存在している。しかし、線として捉えてしまうと、分けるか、繋げるかのどちらしか成立せず、豊かな関係性を作り出すための門になることは難しいだろう。どちらでもあり、どちらでもない新たな自律的な存在を目指すことはできないだろうか。例えば、その境界線を拡大していくと線から面になる。面には中身が存在しており、その密度によって境界線の強度が生まれてくる。逆に、密度がなくなれば面として存在しながらも線としての強度は弱くなるだろう。このように、「こちら」と 「あちら」の境界に存在するものの中身を広げ取り除き、分けるモノではなく、中身の存在する面のような「あいだ」の存在について考えてみることで様々な関係性を生み出すきっかけとなるようなものについて考えてみたい。

「あいだ」としての門扉

まず、通りから庭眺めることができるように正面から45度振った見え方を可能な限り透明な状態を目指した。門扉の透明度が上がりすぎてしまうと、「あいだ」としての存在は無くなってしまうので、正面から逆に45度振った方向からは閉じられた面を作ることにした。この異なった2つの面を持つことにより、門扉はただの境界線ではなくなり、2つの性格を中身に持つ透明性と閉鎖性を持つ面のような存在になる。また、門としての正面性にくわえ、各方向に45度振った計3つの正面性を作ることで、通りを歩く人には映像のように移り変わり様々な表情を見せる。門扉の高さは腰の高さまでにし、門扉を跨いで会話ができるようにしている。ちなみに、円と水平ラインのモチーフは、周辺にある石垣をレファレンスとしていて、周囲の塀との連続的な風景を生み出せたらと思っている。

「あいだ」としての屋根

屋根は、地面と空の関係を分ける境界線である。雨や日射を遮りることで人やものの居場所をつくる。門扉の上にある屋根も同様に、雨に濡れずに門扉を開け閉めするものであり、訪れた人と会話をする居場所を作り出す。天井高は2500mmとし、ボールト型の天井は手が届きそうで届かない高さによる浮遊感とアールの天井によってふわりと覆いこみ、空との関係においては閉じたものとなる。通りから見ると、庭の木々を邪魔せず空にも被らない高さにあり、天井面は反射した庭の緑を写し込む。見る角度によって天井面は移り変わり透明性を帯びた屋根として風景に溶け込む。屋根は木板葺きとしている。鉄骨造によって、屋根の存在は軽やかに存在しているが、周囲を見渡してみるとやはり無骨な硬い印象を生み出してしまうので、屋根面は木板を下見板貼りとし、山々の景色と周囲の古い建物との距離を埋めることした。そうした、閉じる、反射する、調和する異なった3つの性格を屋根という境界面に含ませることで、分けるためだけではない「あいだ」としての屋根を自立的なモノとしてその場に着地させていった。

空虚な「あいだ」に様々な性格を詰め込み、自立的で主体的な門となるよう取り組んできた。そして、敷地の境界にありながら、分けるだけではなく様々な表情を生み出し、関係性を構築するきっかけを作る。住民が変われば家も変わるだろうし、災害が来れば風景も 変わるだろう。「あいだ」としての門はそれらを迎え入れ、順応する強さと柔らかさを持つモノとしてこの場所の受け皿となりえるだろうか。 「あいだ」は両者の繋ぎ合わせ良い関係性を作るとことによって自らの存在を強めていく。両者があることで「あいだ」を成り立たせ、「あいだ」がないことには両者の関係は崩れてしまうだろう。それぞれが主体的にリスペクトし合う関係は、現代の社会においても欠かせないものだと思われる。色々な事柄がダイレクトに繋がりすぎて摩擦が起きるのであれば、滑らかにやさしく触れ合うための「あいだ」を作れば良いのだ。繋ぐだけでもなく、分けることだけでもない、より具体的な関係性を個々に求めて尊重していくことができる場所作りを求めていきたい。